ペリカンズが優勝したら結婚するブログリターンズ

NBA、特にニューオリンズ・ペリカンズについてメインに書いています。

MAD MAXのペリカンズ(およびNBA)との出会い

こんにちは。

今回は管理者がTwitterでもリアルでもお世話になっているベテランペリカンズファンのMAD MAXさんにNBAとペリカンズの出会いについて書いていただきました。

twitter.com

 

 


 

 

こんにちは、MAD MAXです。ペリカンズ(およびNBAとの出会いについて、ありがたいことに管理人さんよりお誘いを受け、僭越ながら書かせていただく運びとなりました。

先にお断りしておくと、おっさんなので話が長いです。すみません

 

それではまずNBAとの出会いから。

 

 

1991

遡ること約30年前。

小学生だった私は、左手に杖/右手の指にボールを乗せた謎のおじさんロゴのキャップを地元駅前のスーパーで買いました。

緑色が好きだったからで、深い理由はありませんでした。


1992-1993

バルセロナ五輪の初代ドリームチームを目の当たりにし「NBA」の存在を知ります。

幼馴染のN君は既にNBAに傾倒しており、彼の家の本棚にはHOOP誌がビッシリと並んでいました。

そこで見覚えのあるロゴを発見。

「この緑のキャップ、NBAチームじゃん!」

という事で、安易ですがセルティックスファンとなった私は、本格的にNBAを観始めました。

 

当時のセルティックスはバードが去りレジー・ルイスが急死。

凋落の兆しが見える状況でした。日本ではNBA人気が高まり、周りが

「ジョーダンのブルズ最高!」「いやいやKJ/サー・チャールズのサンズでしょ!」「これからはシャックのマジックの時代!」

などと騒ぐ中、人と被るのがイヤだった私は不遇のセルティックスを応援することに意義を見出していました。

 

1994

詳細は省きますが、10年くらいは何だかんだでセルティックスを応援しました。

今でこそファンの多い名門のイメージですが、少なくとも90年代中盤以降の日本におけるセルティックスは人気球団とは程遠く(※当時の横浜のいち学生の印象です)、インターネットも普及前ですので、セルティックスファンと出会う機会もなく、限られた試合をBSで観戦し、孤独に応援する日々でした。

 

2000

迎えた2000年代、NBA好きでしたが全然バスケ部じゃなくて中高では吹奏楽部だった私は、大学でニューオーリンズの音楽を始めます。
自分が演奏していたチューバという楽器が目立って活躍できるジャンルだったからです。

 

2002

所属していたニューオーリンズ音楽のサークルには、春休みに有志で現地にアパートを借りて長期滞在し、ライブ三昧の生活を送るという伝統がありました。

2002年の春に初訪問した私は、そこでニューオーリンズの街/音楽//文化にどハマりします。
(余談ですが、この時の渡米で初めて
NBAを現地観戦しました。CHA @ BOSCHI @ NJN2試合を観戦予定でしたが、急性胃腸炎でボロボロになりモーテルのトイレから出られずBOSの試合は会場にすら行けませんでした

 

そんな折、’02-’03シーズンからシャーロット・ホーネッツのニューオーリンズ移転が報じられます。

当時のシャーロットファンには申し訳ないですが、自分的に既に最高の街であるニューオーリンズに
NBAの球団まで来ちゃったら、マジで最高of最高だなと思いました。

 

という事で、前置きが長すぎましたが、ここからがペリカンズ(当時のホーネッツ)との出会いです。

 

2003

当時大学3年生で、就活アリ/お金ナシという状況のため渡米は見送りかと思っていたのですが、鎌倉の某所で福引を回したら旅行券ウン万円分が当たるという幸運もあり、思い切って行く事にしました。

 

ホーネッツのニューオーリンズ移転後の初シーズンで、正直対戦相手も覚えていませんが数試合を観戦。当時は確か3階席で$5〜とか爆安だったので貧乏な学生には有り難く、かなり軽い気持ちでアリーナに通いました。

 

バロン・デイビス、デビッド・ウェズリー、ジャマール・マッシュバーン、PJブラウン、ジャマール・マグロワのスタメンをはじめ個性豊かな面々を観ているうちに愛着も湧いてきます。

 

そして何より、自分がどハマりしている街「NEW ORLEANS」の文字が胸にデカデカと躍り、従来のホーネッツのチームカラーである青緑と紫に金を加えることで、現地のカーニバル「マルディグラ」のカラー(緑・紫・金)に落とし込んだジャージが最高でした。

 

元々好きだった「NBA」と新たに好きになった「ニューオーリンズ」。ここに至り、両者が重なる共通部分にある「ホーネッツ(現ペリカンズ)」は、私のアイデンティティにガッチリと組み込まれたのでした。


セルテックスファンを辞めようとは思いませんでしたが、ボストンよりニューオーリンズを応援する理由の方が明確になってしまったのです。

 

以降、ニューオーリンズ・ホーネッツには色々なことがありました。

 

2004年はボブキャッツ誕生の影響でEASTから押し出されWESTに移動(これによりセルティックスとの競合という心の葛藤が大幅に解消)、

2005年はハリケーン・カトリーナ禍で壊滅的被害を受け、

2006年はオクラホマシティを仮ホームとして戦う中で現地OKCの盛り上がりに「そのまま移転してしまうのでは」と怯えるものの、

2007年以降はニューオーリンズを本拠地に戻して一安心、

2008年には地区優勝を経験するも、

2010年には身売りが上手くいかずリーグ管理下となり、

2012年にNFLセインツオーナーのベンソンがチームを購入して、

2013年に「ペリカンズ」に改名

 

この間、すっかり沼にハマって何度もニューオーリンズを訪れ、様々な共通体験を経るうちに「どこのファン?」と聞かれれば自然に「ホーネッツ/ペリカンズ」と答えるようになっていました。

 

という訳で、これからもスターが居なくなろうが、勝てなかろうが、チーム名が変わろうが、「ニューオーリンズのNBAチーム」として存在する限りは応援し続ける、というのが私のスタンスです。

 

幸いなことに、今のオーナーシップはある程度安定していますし、エースが去るとほぼ切れ目なく新たなエースが現れるサイクルも手伝って(BD/マッシュバーン→CP3→AD→ザイオン)、楽しく観続けられています。

 

次の‘21-‘22シーズンはニューオーリンズ移転から20年目の節目。
自分も気付けば、
20代はホーネッツ、30代はペリカンズと、人生の半分くらいをニューオーリンズのNBAチームと共に過ごしてきました。

願わくば、死ぬ前にチームが移転
/消滅することなく、ニューオーリンズに優勝をもたらす姿が見られれば御の字ですが、さてどうなるか

 

長文かつかなりどうでも良いパーソナルな話が多く大変申し訳ありませんでしたが、最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 


 

 

違うチームから入って、街がきっかけで好きになっていったというのは非常に珍しいのではないでしょうか。

現ペリカンズがニューオリンズに移転していなければなかった出会いですし、なんとも運命的ですね。

過去にはペリカンズオフ会を開催しましたが、MAXさんにはお忙しい中来ていただきながら貴重なお話を聞かせてもらい、グッズプレゼントコーナーまでやって頂いただくなど大変お世話になりました。

管理者も1度マルディグラの時期にニューオリンズに行きましたが、感想は良いところだな、ぐらいで街のことには疎く、MAXさんのようにもっと街ごと愛せたらなと思います。

ペリカンズは苦しいシーズンが続いていますがデビッド・グリフィンが来たのは大きな転換点だと思います。
これから更にザイオン体制が本格化していき間違いなくチームも上向いていくでしょう。

オーナーも素晴らしい方ですしこのままニューオリンズで続いてほしいですね。
MAXさんのためにも。

コロナが収束して、またペリカンズオフ会が開催できたら是非また来ていただきたいですね。

MAXさんこれからもよろしくお願いします!